2011年11月23日水曜日

百年つづきますように

飲み屋のカウンターで歌謡曲を聞いた。

祝日の前の三軒茶屋は、給料日の後ともあって、いつになく活気に満ちていた。
けれどもその店は喧騒とは無縁、わたしが訪れた時にはカウンターで
スマフォを操作しながらチューハイのジョッキを傾ける若者が一人いたきりだ。
ここはアジの南蛮漬けが絶品で、時折立ち寄っている。
今晩も女将さんに浦霞をコップに注いでもらい、ご主人の知り合いの猟師が獲ってきた
蝦夷鹿の肉をゆっくりとつまんでいた。
いつもはテレビをつけている所為か、久しぶりに点けた有線放送はボリュームが
少々上がり過ぎている。
ハカセタロウの弾くバイオリンに続いて、どこかで聞いた旋律が耳に流れこんできた。
「100年つづきますように」という言葉でおわるヤツだ。
なんという題の曲なのか、だれが歌っているのか知らない。
そもそも何が100年つづくのか分からない。

"・・・かつて中国大陸に100年続いた王朝がいくつ存在したことだろうか。
共産党支配下の中国が現在の体制を今後維持してゆけるのか、
その為には数多のリスク、特に今後十年でインフレそして水資源の確保に
国を挙げて取り組まなければならない。"

・・・ということではなかったと思う。l
べつに何が100年でもよい。それは言葉だ。

私がこの曲を最初に聞いたのは、広島県竹原氏にある昔ながらのカラオケスナックだ。そこで、店の女性が歌ってくれた曲だった。強く印象に残っている。上手だったのかどうか今となっては定かではないが、もっと聴きたい、ずっと聴いていたいと思わせる力のある歌だった。

今回はオリジナルと思しき音源を聴いたのだが、あまり流暢ではないという印象を受けた。けれども不思議な説得力があると思った。もちろん説得力といってもストーリーのことではない。そんなものをわざわざ組み立ててどうする。自意識の牢をぐるぐると回っているだけだ。何が100年続くんだっていいんだ。比較的最近の曲なのかもしれないし、案外に古い曲なのかもしれない。そういうことを何も知らなくて幸運だった。

最高のシンフォニーホールで最高のオーケストラを聴くのは素晴らしい体験に違いはない。一方で個人が切実な想いをもって音楽と出会うのは、いかにも何気ない状況なのである。その瞬間を逃すことなく、心に留め、そして忘れる。

夢が覚めれば、また中共の存続に思いを馳せる日常が始まる。

2011年11月20日日曜日

ファンより推しメン

バレーボール女子のワールドカップが閉幕した。
惜しくも五輪出場の切符は逃したものの、日本代表は世界ランキング一位と二位の
ブラジル、アメリカをそれぞれストレートで下している。
確かに今大会はブラジルが絶不調だったということもあるが、
三位の中国と最後まで競り合ったことも含めて、相当な自信になったのではないかと思う。
つまり”これはちょっと勝つのが難しいなあ”という
格上意識を持たなくてはならない相手がいなくなってしまったということだ。
横一線上に多くのトップチームがひしめいており、日本を含めたどのチームも
ロンドンでは金を狙える位置にいる。
これはすごく面白くなりそうだ。

代々木体育館のある原宿は職場(渋谷)の隣駅だ。
木曜日のドイツ戦の自由席(2000円)をローソンで購入、
いつもより早めにタイムカードを押していそいそと観戦に出かけた。
観に来てるのは8割が女性、しかも一番安い席だからなのか
女子高校生ばかりだった。
あまり男性には人気のない種目なのだろうか。

ちなみに私がバレーボールを観るようになったのは
ミズーリで過ごしていた頃。
大学のバレーボールチームが全米トップクラスの強豪だったので
ホームゲームは他の用事がない限り必ず応援に行った。
セレクションには見渡す限り広大な駐車場が満車になるほど
全米から高校生が訪れてきた。
けれども、そういう強豪のバレー部が要求するのはバレーの実力だけではない。。
特にその大学では、学力が上位10%以内をキープすることを義務付けられていて
最後までチームに残った学生は、抜群の成績と栄誉を手に入れ卒業していく。
米国のナショナルチームは知っての通り超人揃いなんだけど
彼女たちはバレーだけじゃなくて、皆一様にすごく賢いのだ。

ちなみに米国ではバレーボール=女子の種目だったので
そのせいか私も男子のバレーボールにはあまり興味がない。



今大会はあまり出番がなかったのだけど、迫田選手のファンなのです。
誰のファンかという話をしていると「へー、その子が”推しメン”なんですか」
と不意に同居人が口にした。
確かに女性の競技ともなると、プレースタイルだけではなく異性の好みも
多分に反映されてしまうのは止むを得ない。
「ファン」よりも、アイドルに使われる「推しメン」なんて表現の方がしっくり来るのかもしれない。

江畑選手の今大会での成長は著しく、すっかり木村選手と並んで
双頭のエースという貫禄がある。
とてもいい選手なので私も応援したいのだが、おかげで迫田選手の出番が
なくなってしまうのが少々残念だ。
今度は国内リーグの試合も観に行こうと思う。

2011年11月16日水曜日

嫌われたくない好きになってほしい

飲み屋の小さなテレビ。ふと目をやると、なんたら鑑定団という番組で上村松園の作が
品定めされていた。松園といっても、美人画ではない。
大和武の尊があっさりと描かれた掛け物で、真作として200万の値がついた。
たかが200万であれば、よほど生活に困っていない限り売ることもあるまい。
松園の美人画が掛かっていると何となく寛げない気もしてくるが
大和武は実に飄々として肩の張らない風情であった。
ああいうのなら、一枚欲しいものだ。
何てよしなしごとを思い浮かべながら家路を行けば
飲み屋の帰り道というのは成る程、本来こういうものではないかという気がしてくる。

APECの首脳会議が閉幕された。
TPPへの参加に向けた協議が始まったということで連日メディアを騒がしていた。
基本的にマスコミは諸外国の反応に何よりも関心が高いらしく、
アメリカの通商代表やら各国の代表が歓迎の意を表明したとかしないとか、
そういうことを懸命に伝えようとしていた。
どこぞの報道番組では、政府関係者がオバマ大統領に
手作りのクッキーを渡したというエピソードを紹介していた。
"参加交渉に向けた協議"という、そもそも何を目指した協議なのかもよく分からないが
恐らくは協議の相手に気に入られることが最も大切なポイントという
その認識は政府関係者とマスコミが共有しているようだった。

まず相手に好かれようとするのは、東アジア的なものか後進国的なものなのか、
いずれかの性質に由来していると、私は最近まで考えてきた。
しかし最近になって、それは主要国の中では日本人に独特な性質なのではないかと認識を改めた。
(ひょっとするとブータン辺りはそうなのかもしれないが、
ブータンに知り合いがいないので分からない)

私が米国に住んでいたことを話すと、日本人の女の子が外国でモテるのは本当か、
と頻繁に聞かれる。
それは本当だと思う。
一つの理由はお金持ちであること、もう一つは愛想がとてもよいことだ。
韓国や台湾、中国の女性の中にもとても魅力的な人はいるが、意味もなく笑ったり異性に媚を売ったりしない。
日本人の女性が相手に気に入られる努力をするということはそのことが重要なアドバンテージを持つ社会で育ったからだろう。愛想がいいというのは、人間関係をハーモナイズする作用があったりするので悪いことではないと思う。
例えば、私もコンビニやファストフードのお店に行ったときに店員の愛想がいいと気分がいいだろう。反対にシリアスな仕事をしたりする上では、相手に好かれようとする態度が透けて見える人間は信用することが出来ない。

多国間FTAのルールを策定する場において、交渉相手に好かれることが
どのようなアドバンテージを持つのか分からない。
各国とも国益を最大化させるのがゴールであり、相手が好きだろうが嫌いだろうが
その為にはあらゆる手段を尽くすはずだ。
真剣な交渉の上では、相手が自分をどう見ているかを意識する余裕はないはずだし
その事をどう利用して国益に結び付けるつもりだったのか、全く不明である。

2011年11月5日土曜日

新体操、イオンカップを観て

金曜日のよるは亀戸へ。職場の人とプライベートで飲みに行くのは初めてだ。品のある蕎麦屋、そして珍しい年代物の洋酒が豊富に揃っている小さなバーでごちそうになる。シングルモルトなるものを試してみた。酒は酒でもいろいろあるもんですね。西洋酒の楽しみなるものを知る。
散々飲んだ明けの土曜日、朝食を抜いて水泳教室へ。能く呑んだ翌朝のプールは精神がとても落ち着く。その後は温かいうどんと決まっている。近所の富士そばも悪くないんだが、京都在住時代にプールの後で寄っていた中書島駅の比叡のうどんが忘れられない。30年以上も生きていると忘れないというものがいくつかあるが、中書島駅にあった比叡のうどんは決して忘れられない。

今週は文化の日があって、午前中に新体操のイオンカップを見た。
ロシアのカナエワ選手は、世界選手権3連覇を成し遂げ”絶対女王”の異名を取る。
今回も二位につけていた同じロシアのコンダコワ選手の演技もたいへんに素晴らしかった。
寸分違わぬ正確かつダイナミックさで、信じられないような技を連発していた。
しかしカナエワの演技はまるで異なっていた。
新体操が競技である以上、ひとつひとつの技で得点を重ねなければ勝てない。
当然、彼女の演技は難しい技も他のどの選手より完璧に決め、無駄のない動作には高い芸術点が与えられている。もしかすると、そういうところにあまり関心がないのかもしれない。

ボールやリボンを「カナエワが」「扱っている」という感じがしなかった。
他の競技者とは次元が違う。
イマジネーション、とかそういうことだろうと思う。


何かすごいものを観た、という強い印象は残っているけど
頭の中で彼女の演技を反芻することは叶わない。
それがひどく無作法であったり、勿体無く思えてしまう。

日本勢はまだまだこれからという印象だけど、カナエワのような選手が同年代にいるというのは
現役の選手たちにとってはとても幸せなことなのだろうと思う。

2011年11月2日水曜日

千言万語

週の初めは比較的お客さんも少なくて静かだ。
今夜も耳の遠くなったご隠居が一つ席空けてカウンター手前に陣取っていただけ。
そのご隠居も瓶ビールを独酌しながら入院していた話をして先に帰ってしまった。
もう私の手元の銚子もほとんど空だったのだが、他にお客さんもいなかったので
壁掛けの小さなテレビを点けてもらうことにした。
9時30分からNHK教育で放映される"俳句王国"。
京都で大学に通っていた頃の二つ年下の友人から出演するという連絡を貰っていたのを
不意に思い出したのだ。
私もついぞ俳句には親しんだこともなく、当然初めて観る番組だった。
店のご主人とおかみさんも、似たようなものだろう。
その日のテーマ”夫婦”を出演者が一人ずつ読んでお互いに批評する。
批評している段階では誰が書いた句なのか伏せられている点が面白い。
彼女の句は、こうだ。

”林檎むく
あなたの前世
きりんきりん”

健全な愛情に加えて、実に伸びやかな野趣のある詩だと思った。
店のご主人とおかみさんも感心されていた。
司会者に解説を求められたときの返しも素晴らしかった。
決して素っ気ない感じではなかったが、要は「言葉の通りです」
という趣旨で上手い具合に煙に巻いてしまった。
やはり店のご主人とおかみさんは感心しておられた。

詩は日常に彩りを与えてくれのかもしれないが
句は日常がもはや彩られる必要のないことを教えてくれる。
何をどう語ろうとも、ただ無粋である。

帰り道。コートで寒さを凌ぐにはまだ早い。
無為に酒を呑んでいるのは、無為故、句に詠んでも仕方がない。
こうしてブログに、そのまま綴っておくのがちょうどいい。