2011年12月3日土曜日

インターバル

文章を書く習慣を身につけたいし、言いたいことのあるトピックもあるんだけど如何せんペースが落ちてしまっている。仕事は1日8時間だけど、毎日全力なのですごく脳が疲れてしまい職場を離れてまで液晶画面を見る気になれない。なるべく本を読んだり身体を動かしたり酒を飲んだりしてリラックスしたい。

そんなことを思いながら、
最近は

水泳をしたり失くした腕時計を見付けたり靖国神社を訪れたり芝居を観にいったりすき焼きをご馳走になったり寒くなったので電気あんかを買ったり新しいコーヒーの上手い店を見つけたり筑波へ出張してみたり旧友を地元へ招いて飲んだりまた腕時計を忘れてきたりしている内に、瞬く間に一週間は過ぎ去ってしまった。

三軒茶屋から靖国神社のある九段下の駅まで、地下鉄で一本。わずか20分で着いてしまうような距離だった。なのに、大使館勤めの友人に誘われる形で今回が初の参拝。あんなに立派な能舞台があることだって知らなかった。その日は防衛大学校新入生のセレモニーがあったらしい、資料館では制服姿の少年たちがそこかしこと行き交っていた。

今日は帰りに本屋で「ちはやと覚える百人一首」を買ってきた。この週末はどこかコーヒーのうまいところで古典に親しもう。

2011年11月23日水曜日

百年つづきますように

飲み屋のカウンターで歌謡曲を聞いた。

祝日の前の三軒茶屋は、給料日の後ともあって、いつになく活気に満ちていた。
けれどもその店は喧騒とは無縁、わたしが訪れた時にはカウンターで
スマフォを操作しながらチューハイのジョッキを傾ける若者が一人いたきりだ。
ここはアジの南蛮漬けが絶品で、時折立ち寄っている。
今晩も女将さんに浦霞をコップに注いでもらい、ご主人の知り合いの猟師が獲ってきた
蝦夷鹿の肉をゆっくりとつまんでいた。
いつもはテレビをつけている所為か、久しぶりに点けた有線放送はボリュームが
少々上がり過ぎている。
ハカセタロウの弾くバイオリンに続いて、どこかで聞いた旋律が耳に流れこんできた。
「100年つづきますように」という言葉でおわるヤツだ。
なんという題の曲なのか、だれが歌っているのか知らない。
そもそも何が100年つづくのか分からない。

"・・・かつて中国大陸に100年続いた王朝がいくつ存在したことだろうか。
共産党支配下の中国が現在の体制を今後維持してゆけるのか、
その為には数多のリスク、特に今後十年でインフレそして水資源の確保に
国を挙げて取り組まなければならない。"

・・・ということではなかったと思う。l
べつに何が100年でもよい。それは言葉だ。

私がこの曲を最初に聞いたのは、広島県竹原氏にある昔ながらのカラオケスナックだ。そこで、店の女性が歌ってくれた曲だった。強く印象に残っている。上手だったのかどうか今となっては定かではないが、もっと聴きたい、ずっと聴いていたいと思わせる力のある歌だった。

今回はオリジナルと思しき音源を聴いたのだが、あまり流暢ではないという印象を受けた。けれども不思議な説得力があると思った。もちろん説得力といってもストーリーのことではない。そんなものをわざわざ組み立ててどうする。自意識の牢をぐるぐると回っているだけだ。何が100年続くんだっていいんだ。比較的最近の曲なのかもしれないし、案外に古い曲なのかもしれない。そういうことを何も知らなくて幸運だった。

最高のシンフォニーホールで最高のオーケストラを聴くのは素晴らしい体験に違いはない。一方で個人が切実な想いをもって音楽と出会うのは、いかにも何気ない状況なのである。その瞬間を逃すことなく、心に留め、そして忘れる。

夢が覚めれば、また中共の存続に思いを馳せる日常が始まる。

2011年11月20日日曜日

ファンより推しメン

バレーボール女子のワールドカップが閉幕した。
惜しくも五輪出場の切符は逃したものの、日本代表は世界ランキング一位と二位の
ブラジル、アメリカをそれぞれストレートで下している。
確かに今大会はブラジルが絶不調だったということもあるが、
三位の中国と最後まで競り合ったことも含めて、相当な自信になったのではないかと思う。
つまり”これはちょっと勝つのが難しいなあ”という
格上意識を持たなくてはならない相手がいなくなってしまったということだ。
横一線上に多くのトップチームがひしめいており、日本を含めたどのチームも
ロンドンでは金を狙える位置にいる。
これはすごく面白くなりそうだ。

代々木体育館のある原宿は職場(渋谷)の隣駅だ。
木曜日のドイツ戦の自由席(2000円)をローソンで購入、
いつもより早めにタイムカードを押していそいそと観戦に出かけた。
観に来てるのは8割が女性、しかも一番安い席だからなのか
女子高校生ばかりだった。
あまり男性には人気のない種目なのだろうか。

ちなみに私がバレーボールを観るようになったのは
ミズーリで過ごしていた頃。
大学のバレーボールチームが全米トップクラスの強豪だったので
ホームゲームは他の用事がない限り必ず応援に行った。
セレクションには見渡す限り広大な駐車場が満車になるほど
全米から高校生が訪れてきた。
けれども、そういう強豪のバレー部が要求するのはバレーの実力だけではない。。
特にその大学では、学力が上位10%以内をキープすることを義務付けられていて
最後までチームに残った学生は、抜群の成績と栄誉を手に入れ卒業していく。
米国のナショナルチームは知っての通り超人揃いなんだけど
彼女たちはバレーだけじゃなくて、皆一様にすごく賢いのだ。

ちなみに米国ではバレーボール=女子の種目だったので
そのせいか私も男子のバレーボールにはあまり興味がない。



今大会はあまり出番がなかったのだけど、迫田選手のファンなのです。
誰のファンかという話をしていると「へー、その子が”推しメン”なんですか」
と不意に同居人が口にした。
確かに女性の競技ともなると、プレースタイルだけではなく異性の好みも
多分に反映されてしまうのは止むを得ない。
「ファン」よりも、アイドルに使われる「推しメン」なんて表現の方がしっくり来るのかもしれない。

江畑選手の今大会での成長は著しく、すっかり木村選手と並んで
双頭のエースという貫禄がある。
とてもいい選手なので私も応援したいのだが、おかげで迫田選手の出番が
なくなってしまうのが少々残念だ。
今度は国内リーグの試合も観に行こうと思う。

2011年11月16日水曜日

嫌われたくない好きになってほしい

飲み屋の小さなテレビ。ふと目をやると、なんたら鑑定団という番組で上村松園の作が
品定めされていた。松園といっても、美人画ではない。
大和武の尊があっさりと描かれた掛け物で、真作として200万の値がついた。
たかが200万であれば、よほど生活に困っていない限り売ることもあるまい。
松園の美人画が掛かっていると何となく寛げない気もしてくるが
大和武は実に飄々として肩の張らない風情であった。
ああいうのなら、一枚欲しいものだ。
何てよしなしごとを思い浮かべながら家路を行けば
飲み屋の帰り道というのは成る程、本来こういうものではないかという気がしてくる。

APECの首脳会議が閉幕された。
TPPへの参加に向けた協議が始まったということで連日メディアを騒がしていた。
基本的にマスコミは諸外国の反応に何よりも関心が高いらしく、
アメリカの通商代表やら各国の代表が歓迎の意を表明したとかしないとか、
そういうことを懸命に伝えようとしていた。
どこぞの報道番組では、政府関係者がオバマ大統領に
手作りのクッキーを渡したというエピソードを紹介していた。
"参加交渉に向けた協議"という、そもそも何を目指した協議なのかもよく分からないが
恐らくは協議の相手に気に入られることが最も大切なポイントという
その認識は政府関係者とマスコミが共有しているようだった。

まず相手に好かれようとするのは、東アジア的なものか後進国的なものなのか、
いずれかの性質に由来していると、私は最近まで考えてきた。
しかし最近になって、それは主要国の中では日本人に独特な性質なのではないかと認識を改めた。
(ひょっとするとブータン辺りはそうなのかもしれないが、
ブータンに知り合いがいないので分からない)

私が米国に住んでいたことを話すと、日本人の女の子が外国でモテるのは本当か、
と頻繁に聞かれる。
それは本当だと思う。
一つの理由はお金持ちであること、もう一つは愛想がとてもよいことだ。
韓国や台湾、中国の女性の中にもとても魅力的な人はいるが、意味もなく笑ったり異性に媚を売ったりしない。
日本人の女性が相手に気に入られる努力をするということはそのことが重要なアドバンテージを持つ社会で育ったからだろう。愛想がいいというのは、人間関係をハーモナイズする作用があったりするので悪いことではないと思う。
例えば、私もコンビニやファストフードのお店に行ったときに店員の愛想がいいと気分がいいだろう。反対にシリアスな仕事をしたりする上では、相手に好かれようとする態度が透けて見える人間は信用することが出来ない。

多国間FTAのルールを策定する場において、交渉相手に好かれることが
どのようなアドバンテージを持つのか分からない。
各国とも国益を最大化させるのがゴールであり、相手が好きだろうが嫌いだろうが
その為にはあらゆる手段を尽くすはずだ。
真剣な交渉の上では、相手が自分をどう見ているかを意識する余裕はないはずだし
その事をどう利用して国益に結び付けるつもりだったのか、全く不明である。

2011年11月5日土曜日

新体操、イオンカップを観て

金曜日のよるは亀戸へ。職場の人とプライベートで飲みに行くのは初めてだ。品のある蕎麦屋、そして珍しい年代物の洋酒が豊富に揃っている小さなバーでごちそうになる。シングルモルトなるものを試してみた。酒は酒でもいろいろあるもんですね。西洋酒の楽しみなるものを知る。
散々飲んだ明けの土曜日、朝食を抜いて水泳教室へ。能く呑んだ翌朝のプールは精神がとても落ち着く。その後は温かいうどんと決まっている。近所の富士そばも悪くないんだが、京都在住時代にプールの後で寄っていた中書島駅の比叡のうどんが忘れられない。30年以上も生きていると忘れないというものがいくつかあるが、中書島駅にあった比叡のうどんは決して忘れられない。

今週は文化の日があって、午前中に新体操のイオンカップを見た。
ロシアのカナエワ選手は、世界選手権3連覇を成し遂げ”絶対女王”の異名を取る。
今回も二位につけていた同じロシアのコンダコワ選手の演技もたいへんに素晴らしかった。
寸分違わぬ正確かつダイナミックさで、信じられないような技を連発していた。
しかしカナエワの演技はまるで異なっていた。
新体操が競技である以上、ひとつひとつの技で得点を重ねなければ勝てない。
当然、彼女の演技は難しい技も他のどの選手より完璧に決め、無駄のない動作には高い芸術点が与えられている。もしかすると、そういうところにあまり関心がないのかもしれない。

ボールやリボンを「カナエワが」「扱っている」という感じがしなかった。
他の競技者とは次元が違う。
イマジネーション、とかそういうことだろうと思う。


何かすごいものを観た、という強い印象は残っているけど
頭の中で彼女の演技を反芻することは叶わない。
それがひどく無作法であったり、勿体無く思えてしまう。

日本勢はまだまだこれからという印象だけど、カナエワのような選手が同年代にいるというのは
現役の選手たちにとってはとても幸せなことなのだろうと思う。

2011年11月2日水曜日

千言万語

週の初めは比較的お客さんも少なくて静かだ。
今夜も耳の遠くなったご隠居が一つ席空けてカウンター手前に陣取っていただけ。
そのご隠居も瓶ビールを独酌しながら入院していた話をして先に帰ってしまった。
もう私の手元の銚子もほとんど空だったのだが、他にお客さんもいなかったので
壁掛けの小さなテレビを点けてもらうことにした。
9時30分からNHK教育で放映される"俳句王国"。
京都で大学に通っていた頃の二つ年下の友人から出演するという連絡を貰っていたのを
不意に思い出したのだ。
私もついぞ俳句には親しんだこともなく、当然初めて観る番組だった。
店のご主人とおかみさんも、似たようなものだろう。
その日のテーマ”夫婦”を出演者が一人ずつ読んでお互いに批評する。
批評している段階では誰が書いた句なのか伏せられている点が面白い。
彼女の句は、こうだ。

”林檎むく
あなたの前世
きりんきりん”

健全な愛情に加えて、実に伸びやかな野趣のある詩だと思った。
店のご主人とおかみさんも感心されていた。
司会者に解説を求められたときの返しも素晴らしかった。
決して素っ気ない感じではなかったが、要は「言葉の通りです」
という趣旨で上手い具合に煙に巻いてしまった。
やはり店のご主人とおかみさんは感心しておられた。

詩は日常に彩りを与えてくれのかもしれないが
句は日常がもはや彩られる必要のないことを教えてくれる。
何をどう語ろうとも、ただ無粋である。

帰り道。コートで寒さを凌ぐにはまだ早い。
無為に酒を呑んでいるのは、無為故、句に詠んでも仕方がない。
こうしてブログに、そのまま綴っておくのがちょうどいい。

2011年10月30日日曜日

これからどうすんの

ユーロ経済圏が歪みを露呈する一方で、BRICSはデフォルトが懸念される南欧諸国の債権引き受けを申し出るなど、ジワジワと影響力を高めてきている。また次期大統領再任が確実視されているプーチン氏も、ロシアを中心としたCISの経済統合に意欲を見せる。向こう数十年の世界経済の趨勢がブロック化であることに疑いはない。その中で、日本はどういうポジションを目指しているのだろう。

ご存知の通り、現時点でTPPに参加を表明している国家はオーストラリアとニュージーランド、チリとアメリカに加えてASEAN諸国のシンガポール、ブルネイ、マレーシアとベトナム。この4カ国の共通点は2つある。まずはベトナムをのぞいた3カ国はASEAN10カ国で経済的に恵まれたトップ3だ。国民一人あたりのGDPは元より、都市化の割合で他のASEAN諸国を大きく引き離している。もう一つは、いづれの国も中国との間に少なからぬ緊張を抱えている点だ。近年では南沙諸島の領有問題が取り沙汰された。経済的にこれ以上中国に依存するわけにはいかない。

国内のマスメディアで交わされている議論は、TPPに参加して製造業を守るだの拒否して農業守るだのと、極めて近視眼的な範囲に限られている。外交問題として語られるべきが、あたかも日本だけで取り扱う問題のように語られている。諸外国とどういう関係を築きたいのか、国際社会の中でどういったポジションを得たいのか、政府は明らかにしない。「こういう方向を目指しましょう」というビジョンがなければあらゆる判断は場当たり的なものにしかなり得ない。 だが、政治家からも、またその声を伝える立場にあるメディアの側からも、そういったビジョンは一向に示されない。

アメリカ主導のTPPが気に入らないと言うが、ではASEAN+3のような中国が主導権を持つ枠組みへの参加には賛成なのか(実際のところTPP反対派議員の多くは親中国だ)。韓国のように個別のFTA網を築くには莫大な手間と時間がかかる。これ程外交を軽視している日本がそれを完遂する意思と能力を持ち合わせているとは到底思えない。

私個人としては、現時点ではTPPへの参加は賛成でも反対でもない。だが交渉に参加することは非常に重要だと思う。今の段階で外交のビジョンが示されていないのは非常に遺憾だが、情報を得るば新しい判断材料が増えるかもしれない。

ところで、国会議員の中には「一度交渉へ参加すると断れない」「なし崩しにTPPへ加わることになる」と真顔で語る者がいる。これが驚くべきことに与党の議員だったりする訳だが、”我々の政権には他国との交渉能力が一切ありません”と喧伝しているのと同義だ。とても恥ずかしいことだと思う。しかし、そういう当たり前のことに気づいていない無知が何より恥ずかしい。

2011年10月25日火曜日

盗電と川端

川端の”雪国”を読んでいると、芸者の駒子が下宿先に気を遣うので
夜遅くまで起きていられない、という描写が出てくる。
舞台は今でこそスキーリゾートとなった越後湯沢の山村だが、当時はちょうど
電気は使い放題から従量課金へと移行したばかりの時代である。

夜も更けた頃、駅前の小路の片隅にある馴染みの店に顔を出す。
月曜日の夜は決まって静かなので、親父さんは薄型テレビに向かって煙草を吹かしていた。
どういう経緯だったか、五箇山の集落に配電盤が初めて来た時の話になった。
そうそう、"盗電"の話からだったか。
"東電"ではない。
戦前も私の時代も、男の子は電気を盗んで大きくなってきた。
今の子供は電気を盗んだりするのだろうか。
危険だし、止めておいた方がいいだろう。

子供の頃は川端の本を学級文庫なんかで読んでも、全くなんとも読まなかった。
考えてみれば、こんなものを子供に読ませてもどうしようもないのではないか。
”舞姫”を何気なく読んで「こいつはすげえ」と”雪国”を見付けてきたんだが
あまりの緊張感に中々ページが進まない。
ただね、これはもう緊張に耐えるか屈服するかのどちらかしかないと思う。
屈服してしまうと、同性愛か不能になるのか、ともかく現実は急速に色褪せてしまいそうだ。
一時のことで、その後は新しい世界が現れるだろう。それもいいのかもしれない。

おいしいご飯を食べるとき、お百姓さんに感謝はすれど、例えば今の農家は補助金付けで暮らしがどうのこうの息子娘が大学に入る時期だから農協に借り入れがどうのこうの、なんてディテールを考えてたら味わうどころじゃないでしょう。
それと同じで、川端の著を読む時も彼がどういう人となりであったか、
なんてつまらないことを考えてはいけない。
そんなことは無視して読みましょう。
さもないと、おいしいご飯を台無しにしてしまう。

京都時代、大阪のオフィス目の前に川端康成の生家があった。
その隣の土地にははおでん屋だかなんだか、やたらと飲み屋が出来ては潰れていた。

2011年10月22日土曜日

ちょいと一休み

せっかくブログを始めたので、特に目的もなく更新し続けようと思います。
なので無理して長文ばかり書くことなく。
硬軟織りまぜた感じで。

ただ日記を書くというのは非常にバカらしいとの思い込みがあるですが
実際にバカらしいだけなのかどうか、書いてみてから検証しようと思う。
何かあるかもしれない。

今日は土曜日ということで朝から太子堂中学校のプールで水泳教室です。
生まれてはじめてバタフライをやってみた。
来週も仕事帰りにちょくちょくプール寄って練習せねば・・・。
はりきり過ぎたのか、昼から喫茶店で勉強をしてたら眠くなってしまった。

気分を換えようと、本屋に寄って”ちはやふる”の3巻を購入。
そして、えぐえぐと感動の涙を流しながら読了。
この漫画はしばらく前に秋葉原の献血ルームで出会ったのだけど
たいへんに面白い。
どう面白いのかは後日改めて書こう。

どういう風に面白いとか、どういう風に好きというのを
正確に誰かに伝えるというのは、すごく重要なことだ。

自由と安心

なんだか昨日のポストが書きたいところまできちんと掘り下げてなかった感がある。
なのでもう少し"歌うクジラ"の話にお付き合い願いたい。

私は集団に馴染むのがとても苦手だ。
別に無闇やたらと波風を立てたりするわけではないが
いつも中途で居心地が悪くなる。

飲み屋でも常連客がまるでサークルのような店は敬遠してしまう。
名も知らぬ御仁と相席して一期一会の交わりの為に出かけていくのであって
ベタベタと馴れ馴れしい客のいる店に行くのは御免だ。
(だから必ず、老壮の紳士が集まるような小さな店を選ぶことになる)

そういった"集団"を考えるとき、私はいつも"大きな赤ん坊"というメタファーを見る。
赤ん坊は周りの大人たちによって外敵から守られ、個体として完全に充足している。
集団に帰依するという安心感は、この赤ん坊のクローズドな充足感そのものだ。

一方で満足が得られない時や不快を感じたとき、赤ん坊は全力で泣いて周囲を脅かす。
実は人間の最も暴力的な姿というのは、泣いてる赤ん坊なのではないだろうか。
自分の外の環境に対して、まったく顧みることを知らない。

私にはその暴力性が何よりの恐怖だ。

人間が集団となってふるったおぞましい暴力は歴史が証明するところだが
その萌芽は世の至るところに溢れている。
多くの人は、イエスキリストを磔刑に処したのがどんな人間だったのか
そのことにあまりにも無知である。

そういう集団に馴染んでその一部となる大多数の人たちを見て
安心感が得られるので羨ましいと感じたり、
または別の安心感を得る為に見下したりしても仕方がない。
これはどちらの側が正しいとか優れているわけではなく、
単に世の中にはそういった集団を受容出来る人間と拒否しか出来ない人間
この二種類がいるだけのことだと思う。

"歌うクジラ"に出てくる反乱移民のメンバーは、誰もが日常的に"不安な表情"をしている。
仲良くすることと信頼することが関係のない世界に生きている。
世の中の少数の人間に向けられたメッセージだが、そういう人が何よりメッセージを必要としている。
安心感の代償として得られるものは"自由"である。

2011年10月20日木曜日

歌うクジラ

夕べのうちにご飯のタイマーをセットしておくのを忘れたので
駅前のシャノアールという地下喫茶店で朝食をたべた。
トーストにスクランブルエッグ&ウィンナかサラダが選べるんだが
とても美味しいので土曜日の朝は決まってここで食べる。
平日でも(少々贅沢だが)時々はここで食べる。

食後はコーヒーを飲みながら読みかけのまましばらく放っておいた
村上龍の”歌うクジラ”を読んだ。
帰国してから唯一の本屋で買ったものだ。

帯には”22世紀の「オイディプス王」「神曲」「夜の果ての旅」を書きたかった”との
著者コメントが寄せられている。

「なしくずしの死」には20代の頃、大きな感銘を受けたので
当然「夜の果ての旅」も探したんだけど絶版で手に入らない。
誰か持ってたら貸してください。
「神曲」は米国時代に授業で地獄編を読んだくらいだ。
ものすごい小説だとは思う。
「オイディプス王」はフロイトをかじった人間の例にもれず。

人間の宿命とメタファーとしての旅を重ね合わせて云々
・・・なんて評論はスラスラ浮かんでくるが、そんなことは心底どうでもいいと思う。
村上龍氏の小説には、いつも単純なメッセージしか存在しない。

人間は社会的な生物なので、誰かに承認して貰わないことには生きにくい。
私は村上龍氏の小説の中に、自分のやるべきことを只シンプルに遂行していく人達、
そういうマイノリティの交わりを見て励まされる。
あ、これでいいのか、という感じ。
子供なら両親、大人になれば恋人や配偶者や何かがその役割を引き受けるのに
もっとも適していると思うけど(仕事に関係する人の承認に依存するのは不健康だ)
誰もいなければ、こんな風に自分に合った小説を読むのがいいと思う。

オイディプスもダンテもセリーヌも、旅の果てに自分の正体を初めて知る。
その上、読む人間もその中で自分の姿を発見する、
”歌うクジラ”もそんな物語じゃないかと期待してページをめくる。

友、遠方より

別に遠方でも何でもないわけですが、都心勤めの友人と虎の門辺りで飲んできました。
高校来の親しい友人でね、やっぱりこんな酒が一番旨いんです。

菜根譚でも"無用な人付き合いは止めよ"と稀代の賢者がのたまってるわけですが
まあ身近な人付き合いを大切にして慎ましやかに生きていくのが一番ってことでしょう。
何といっても酒は旨い。
きれいな女の子ひっかけるより、飲み屋の常連で気心知れたおっさんの方が
一緒に飲んで、おいしいですよ。

ところで、昨日は株式会社ミクシィさんのオフィスで行われた渋谷UXの集まりに参加してきたわけです。これからITで日本を引っ張っていこうという有為な若い人の集まりで、すごく活気がありました。若い人たちは、これからのし上がっていく為の人脈作りに余念がありません。本当にすごいエネルギーだなあと素直に感心しました。私自身も、そんな若い人たちと話すのは中々楽しいもんです。
その内、飲み友達でも見つかるといいんですが。

美味しかった酒といえば先の週末。
浦和で贔屓にしている近所の酒屋さん、好物の”喜楽長"今年最後の一本を運良く手に入れました。
実家に戻り弟と二人、寿司をつまみながら堪能しました。
うーん、おいしかった。また来年の出来が楽しみです。

2011年10月19日水曜日

涼しくなってきたし

ブログでも書こうと思います。
北の最果て、ノースダコタの地より東京は若者の憧れ、世田谷へとやってきました。
(すごいギャップだ)

自宅のPCも寝る前にメールSNSをチェックするだけ、携帯も一日一回開くかどうかって使用頻度。
携帯の請求なんて二千円超えたことありませんよ。
一応ITな仕事をしているのにそりゃまずかろうってんで、色々やってみることにしました。

ツイッターも触ってみたんですが、あれはモバイルでやらなきゃ面白くないんですね。
早速諦めました。
やはり、まったりとブログを書く方が性に合っている気がします。

現在自宅で使用しているのは5年前に買ったアウトレットのノートPC。
テキスト書いたりブラウザくらいは辛うじて動くのですが
バッテリーも切れていたので3万円くらいのモバイルPCを一台買いました。
土曜日の晩に弟と大宮のソフマップへ行ったのですが
ちょうど中古の日(15日)というこで1割引きでした。
(店頭展示品で未使用だったんだけどね)

これで毎晩コーヒーを飲みに行ってる駅前のモスで、文章が書ける。
TPPとか農業とか、いろいろと書いてみたいテーマはあったので
ぼちぼちやっていこうかと思います。

iモードで人気のソーシャルゲーム”ドラゴンコレクション”を研究目的で始めてみました。
部屋に戻って毎日10分くらい触ってます。
従来のゲームとは別のものですが、これはこれでよく出来ている。
誰か一緒にやりましょう。
グリーにはヒラリー・クリントンで登録しているので声かけてください。
ニックネームはくりりんです。

それと、近所の太子堂中学校のプールへ、土曜日午前中の水泳教室に通い始めました。
超年配の方々に混じって、日大の若者に基礎から教わっています。
これはIT関係ないですね(まあいいか)。

では。