2011年10月25日火曜日

盗電と川端

川端の”雪国”を読んでいると、芸者の駒子が下宿先に気を遣うので
夜遅くまで起きていられない、という描写が出てくる。
舞台は今でこそスキーリゾートとなった越後湯沢の山村だが、当時はちょうど
電気は使い放題から従量課金へと移行したばかりの時代である。

夜も更けた頃、駅前の小路の片隅にある馴染みの店に顔を出す。
月曜日の夜は決まって静かなので、親父さんは薄型テレビに向かって煙草を吹かしていた。
どういう経緯だったか、五箇山の集落に配電盤が初めて来た時の話になった。
そうそう、"盗電"の話からだったか。
"東電"ではない。
戦前も私の時代も、男の子は電気を盗んで大きくなってきた。
今の子供は電気を盗んだりするのだろうか。
危険だし、止めておいた方がいいだろう。

子供の頃は川端の本を学級文庫なんかで読んでも、全くなんとも読まなかった。
考えてみれば、こんなものを子供に読ませてもどうしようもないのではないか。
”舞姫”を何気なく読んで「こいつはすげえ」と”雪国”を見付けてきたんだが
あまりの緊張感に中々ページが進まない。
ただね、これはもう緊張に耐えるか屈服するかのどちらかしかないと思う。
屈服してしまうと、同性愛か不能になるのか、ともかく現実は急速に色褪せてしまいそうだ。
一時のことで、その後は新しい世界が現れるだろう。それもいいのかもしれない。

おいしいご飯を食べるとき、お百姓さんに感謝はすれど、例えば今の農家は補助金付けで暮らしがどうのこうの息子娘が大学に入る時期だから農協に借り入れがどうのこうの、なんてディテールを考えてたら味わうどころじゃないでしょう。
それと同じで、川端の著を読む時も彼がどういう人となりであったか、
なんてつまらないことを考えてはいけない。
そんなことは無視して読みましょう。
さもないと、おいしいご飯を台無しにしてしまう。

京都時代、大阪のオフィス目の前に川端康成の生家があった。
その隣の土地にははおでん屋だかなんだか、やたらと飲み屋が出来ては潰れていた。

3 件のコメント:

  1. うわあほんまや知らんかった。>川端康成の生家
    こんな仕事してるくせになんかちょっと恥ずかしい……。

    川端康成は伊豆の踊子くらいしか読んでないけど、巻末にくっついてた著者解説みたいなのに少なからずげんなりした記憶がある。研究者とかならともかく、市販してる文庫本に作家と作品を結びつけるような論考を載せる必要ないよね。あれ何なんだろう。

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  2. それは興味深い点だね。
    せっかくだし、改めてそれについて少し思うところを
    述べてみるとしよう。

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  3. >生家
    まあちょっと豪華な民家の門前に、ちょこっと碑が立ってるだけだし中々気づかんよね。京阪伏見桃山の駅前には"鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)開戦の端緒となった銃弾跡"なんて碑が飲み屋だか和菓子屋だかの門前にひっそりと立ってる。

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