2011年10月20日木曜日

歌うクジラ

夕べのうちにご飯のタイマーをセットしておくのを忘れたので
駅前のシャノアールという地下喫茶店で朝食をたべた。
トーストにスクランブルエッグ&ウィンナかサラダが選べるんだが
とても美味しいので土曜日の朝は決まってここで食べる。
平日でも(少々贅沢だが)時々はここで食べる。

食後はコーヒーを飲みながら読みかけのまましばらく放っておいた
村上龍の”歌うクジラ”を読んだ。
帰国してから唯一の本屋で買ったものだ。

帯には”22世紀の「オイディプス王」「神曲」「夜の果ての旅」を書きたかった”との
著者コメントが寄せられている。

「なしくずしの死」には20代の頃、大きな感銘を受けたので
当然「夜の果ての旅」も探したんだけど絶版で手に入らない。
誰か持ってたら貸してください。
「神曲」は米国時代に授業で地獄編を読んだくらいだ。
ものすごい小説だとは思う。
「オイディプス王」はフロイトをかじった人間の例にもれず。

人間の宿命とメタファーとしての旅を重ね合わせて云々
・・・なんて評論はスラスラ浮かんでくるが、そんなことは心底どうでもいいと思う。
村上龍氏の小説には、いつも単純なメッセージしか存在しない。

人間は社会的な生物なので、誰かに承認して貰わないことには生きにくい。
私は村上龍氏の小説の中に、自分のやるべきことを只シンプルに遂行していく人達、
そういうマイノリティの交わりを見て励まされる。
あ、これでいいのか、という感じ。
子供なら両親、大人になれば恋人や配偶者や何かがその役割を引き受けるのに
もっとも適していると思うけど(仕事に関係する人の承認に依存するのは不健康だ)
誰もいなければ、こんな風に自分に合った小説を読むのがいいと思う。

オイディプスもダンテもセリーヌも、旅の果てに自分の正体を初めて知る。
その上、読む人間もその中で自分の姿を発見する、
”歌うクジラ”もそんな物語じゃないかと期待してページをめくる。

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